張 茂(ちょう ぼう、生没年不詳)は、中国の三国時代の魏の政治家・武将。字は彦林(げんりん)[1]。
沛国譙県の出身[1]。明帝の時代に太子舎人の官位にあった[1]。宮殿造営など浪費を続ける明帝を諌めるために上書を出したが、明帝は同郷人の戯言として相手にしなかったという[1]。
『三国志演義』にも登場し、史実通り明帝を諌め、それに激怒した明帝により処刑されている。