張羨
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張 羨(ちょう せん、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。
生涯[編集]
荊州南陽郡の出身[1]。荊州零陵郡と桂陽郡の管轄下の県長を務めて長江や湘江流域の人心を掴んだ[1]。後にかつて孫堅の職であった長沙郡太守となる[1]。
張羨は剛情で人に屈することを嫌ったので、劉表も張羨を評価せず厚遇しなかった[1]。200年に官渡の戦いが始まると劉表は袁紹に属して曹操と戦おうという動きを見せたので、当時張羨の部下であった桓階は曹操に味方することを説き、それに応じて張羨は劉表に反乱を起こした[1]。このため劉表は袁紹の味方ができなくなり張羨の討伐に赴くが、城を包囲しながら何年も落とせなかったという[1]。何年かして張羨は病死し反乱は鎮圧されたが[1]、その間に官渡の戦いは終わっていた。
『三国志演義』には登場しない。