張 俊(ちょう しゅん、? - 270年)は、中国の三国時代の呉の武将。
呉の予章郡太守で孫皓に仕えた[1]。270年に孫皓の側室の王氏が死去し、その死を悲しむ余り人前に出なくなって死亡説が流れた際、孫奮即位の噂を信じて孫奮の母親の墓所の掃除をしたので、孫皓の怒りに触れて車裂きの刑に処された[1]。