常識がない
「常識がない」 (じょうしきがない)は、健常者が発達障害者に対して浴びせかける罵倒のうちのナンバーワンである。枕詞に「お前は」がつくことが多い。
概要[編集]
「常識」とは、トマス・ペインの著作である『コモン・センス』(ここから「常識」という訳語が生まれた)によれば「馬でも理解していること」である。すなわち、「きさまは家畜未満だ!」という侮辱語あるいは罵倒のひとつである。世間一般の慣習あるいは常識を身につけた定型発達者は用いない言葉であり、「私は反社会的パーソナリティ障害者である」という宣言あるいは声明である。
常識は主にルールやエチケットであり、ルールはルールブックに書いてあるし、エチケットもどこかに書いてあるからこそエチケットである。旧約聖書の十戒のように「物証が遺物として残っておらず、しかも複数のものが伝わっている」というややこしいものがある。冠佛教では各宗派によって違いがあってしばしば「宗論」という紛争が起きるが、教祖はお釈迦様なので、「宗論は どちら負けても 釈迦の恥」と鎌倉時代から云われているのを知らない人がいて、これは常識を欠いているので非常識といえよう。冠婚葬祭儀礼におけるドレスコードや公共施設での振る舞いも各国や地域で差はあるが、これに外れることは非常識とみなされ、ときに犯罪とされる。ドイツのエニグマ暗号(コード)を破ったアラン・チューリングは同性愛者であったため、社会的規範(コード)を破ったとされて刑罰を受けた。
発達障害者[編集]
「そもそも定型発達者と脳の構造が違うから常識も違う」とする意見はあるが、それを理由として多数者(マジョリティ)である健常者が少数者(マイノリティ)を迫害してよいという理由にはならない。議会制民主主義の原則からいうと、「多数決の原理」以前に「少数意見の尊重」がある。「とはいえ地球は太陽の惑星のひとつだと考えないと、観測データをうまく説明できない」とか主張しようものなら、火炙りにされるのが落ちである。
最近分かってきたことは、多数派は相手の発言に同調する事で毛づくろいをし、仲間意識を再確認するが、会話のドッヂボールをしがちな発達障害者にはその重要性を知らないし、理解できたとしても脳の構造上できない。「同調圧力に屈するな」という意見もあるが、ミルグラムのアイヒマン実験によれば、「誰かに強く命令されるとホイホイ乗っかっちゃう」のが処世術だとされているらしい。
エンペディア[編集]
多くの人が常識がないと思われる。