島津 忠清(しまづ ただきよ、天正10年(1582年) - 文禄4年(1595年))は、安土桃山時代の男性。島津義弘の5男[1]。
父は島津義弘。母は実窓夫人。兄に島津久保、島津忠恒らがいる。義弘の息子の中では末子であった。仮名は久四郎。文禄4年(1595年)に14歳で死去した。島津左志家の祖ともいわれる[1]。