島崎城 (常陸国)

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島崎城(しまざきじょう)とは、現在の茨城県潮来市島須にかつて存在した日本である。

概要[編集]

行方郡牛堀町の中心市街の東およそ2キロ、島須集落背後の台地の突端にあった城である。

鎌倉時代初期に常陸国大掾氏の家臣・吉田忠幹(平四郎)が当地に所領を与えられ、その息子の吉田宗幹の時代に息子の吉田高幹に島須の所領を与えた。高幹は島須に島崎城を築城し、姓もこの時に島崎と改めた。

そして、高幹の子孫が歴代城主を務め、近隣を征服して勢威を振るった。しかし、17代目の島崎儀幹の時の天正19年(1591年)、佐竹義宣の攻撃を受けて島崎氏は滅亡し、同時に廃城となった。

現在は城跡の大部分が雑木林や畑になっているが、高台一帯に土塁、空堀、物見台、本丸跡などが遺存しており、大手門入口付近には「島崎城址」の碑が建立されている。

アクセス[編集]