山本吉兵衛

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山本 吉兵衛(やまもと きちべえ、文政13年〈1830年〉 - 明治37年〈1904年〉)は、三河国碧海郡高浜(現在の愛知県高浜市)出身の鬼板師(鬼瓦の製作者)。

経歴[編集]

高浜は日本最大の瓦産地(三州瓦)として知られ、鬼瓦の製作も盛んである。鬼瓦の製作者を鬼板師と呼び、山本は三州鬼板師の元祖のひとりとされる。山本成八の次男として文政13年(1830年)に生まれ、天保12年(1841年)に白地作りを開始。慶応3年(1867年)から7年間は職人として近江国に出稼ぎに出ていた。この間に京都で鬼瓦の技法の習得に励んだのではないかとされている。1874年(明治7年)頃、44歳の時に高浜で鬼瓦屋を始めたとされる。

鬼板師としては一代で途絶えているが、数多くの弟子を育てた。直弟子の石川福太郎の流れを継ぐ鬼板屋(神仲、三州製鬼、カネコ鬼瓦、岡成製鬼)、同じく直弟子の長坂末吉の流れを継ぐ鬼板屋(鬼末、福井製陶、鬼良)、同じく直弟子の梶川百太郎の流れを継ぐ鬼板屋(鬼百、鬼亮、梶川務)が存在する。

7回忌があった1910年(明治43年)12月、高浜市青木町に「三河流鬼瓦恩師 山本吉兵衛」の碑が建立された。15人の弟子の名前が刻まれている。奇妙なことに山本の作品はひとつも見つかっていなかったが、1980年代になって刈谷市恩田町の松雲院で発見された。1889年(明治22年)の改修工事の際の作品とされる。

参考文献[編集]

  • 石田高子『甍のうた 三州瓦に生きる人々』愛知県陶器瓦工業組合、1983年
  • 高原隆『鬼板師 日本の景観を創る人びと』愛知大学綜合郷土研究所ブックレット、2010年