小島政二郎

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

小島政二郎(こじま まさじろう、1894年1月31日-1994年3月24日)は、作家。

人物[編集]

東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒。在学中の1916年「オオソグラフイ」を発表。卒業後「赤い鳥」編集に携わり、久米正雄徳田秋声などの作品の代作をした。鈴木三重吉の妻の妹と結婚する。芥川龍之介に師事し、瀧井孝作佐佐木茂索南部修太郎とともに「龍門の四天王」と呼ばれた。昭和初年には新聞に「人妻椿」を連載して大ヒットしたが、のち、恥ずかしい大衆小説を書いたと自伝小説『甘肌』に書き、田岡典夫から、通俗小説の間違いではないかと抗議を受けた。

ほかに「海燕」、芥川を描いた「眼中の人」、「円朝」などの作品を発表したほか、古典鑑賞の著作や、谷崎潤一郎を描いた「聖胎拝受」「鴎外 荷風 万太郎」など作家伝記を書いた。今東光は小島について、死んだあとで何か言うから、自分は小島が死んだら色々言ってやると放言していたが、東光はあっさり死に、小島は百歳の長寿を保った。日本の作家で百歳まで生きたのは小島が最初である。山田幸伯の浩瀚な伝記『敵中の人』がある。生涯、文学賞とは無縁だった。