定林寺跡

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もしかして: 定林寺址

定林寺跡(じょうりんじあと)は、奈良県高市郡明日香村立部の寺院跡。別名、立部寺(たちべ)。小堂の西側の春日神社境内に塔跡、基壇、礎石等の遺構が残る。

概要[編集]

創建・沿革は不明。寺伝によれば聖徳太子御建立七ヵ寺の一寺とする。飛鳥時代創建の寺院と考えられている。法隆寺式伽藍配置の飛鳥時代の寺院址である。廣瀬神社に伝わる古絵図「和州広瀬郡広 瀬大明神之絵図」に、現在の宮堂遺跡の位置に聖徳太子が建てた大伽藍の寺院が描かれている。

1952年、石田茂作らの発掘調査の結果、塔の心礎が確認され、さらに朔像の菩薩の残欠や朔像菩薩残欠や飛鳥時代の代表的な瓦の素弁11葉連花鎧瓦が出土した。[1]

1953年12月に行われた日本考古学協会の発掘調査では、塔跡と廻廊跡の発掘調査が実施された。

南北5尺8寸の花崗岩の石材に径2尺7寸(約82センチ)、深さ3寸(約9センチ)の円形柱座を掘り込んだ心礎が発見された。桁行8尺2寸(約2.48メートル)、梁間9尺(約2.7メートル)の建物であることが確認されている。

1966年に国の史跡に指定され、1993年に追加指定された。

基本事項[編集]

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