宗麟原供養塔
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宗麟原供養塔(そうりんばるくようとう)とは、現在の宮崎県児湯郡川南町湯迫に存在する供養塔である。地元の人間の間ではカンカン仏と一般的に呼ばれており、国の史跡に指定されている。
概要[編集]
川南町の南部の台地上に存在する供養塔である。安土桃山時代の天正6年(1578年)、豊後国の大友宗麟と薩摩国の島津義久の軍勢が九州の覇権をめぐって衝突し、耳川の戦いが行なわれる。この戦いで大友軍は島津軍に大敗を喫して多くの将兵を失い、その死体は山野を埋めたと伝わっている。戦後に島津義久はこれらの死者を集めて同地に埋葬し、円墳を1基築いて弔ったという。
この供養塔は耳川の戦いから7年後の天正13年(1585年)に島津氏が円墳の上に建立したものといわれている。石燈篭式六地蔵型の石塔で、前面に「謹奉訓桶大乗妙典、一千部為戦死者各霊」という銘が刻まれている。
アクセス[編集]
- 川南駅から車で15分。