孟 昶(もう ちょう、919年 - 934年)は、五代十国の後蜀の第2代皇帝(在位:934年 - 965年[1])。後蜀の最後の皇帝であるため、後主(ごしゅ、こうしゅ)[1]と呼ばれる。
父は高祖で3男[1]。934年に高祖が崩御したため即位した[1]。しかし若年で即位したため家臣の傀儡として操られ、さらに後漢、後周、北宋の侵攻に苦しんだ[1]。965年に北宋の侵略を受けて後蜀は滅亡し、孟昶は北宋の首都である開封に身柄を移されて間もなく病死した[1]。享年47。
- ↑ a b c d e f 河出書房新社『中国歴代皇帝人物事典』、P191
参考文献[編集]