天草 久種(あまくさ ひさたね)は、安土桃山時代のキリシタン・武将。
天草鎮尚の子。肥後河内浦に本拠を置く天草五党の筆頭格で、天正16年(1588年)に小西行長が肥後宇土城主になった際に、家臣になった。しかし、翌年に小西の支配に反発して挙兵し、鎮圧されて再度服従した。その後、朝鮮出兵に参加している[1]。