塚原嘉一

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

塚原 嘉一(つかはら かいち、1894年 - 1959年)は、愛知県東春日井郡小牧町春日寺(現在の小牧市)出身の実業家

経歴[編集]

1917年に毛織物業を開始すると、1930年には丸嘉商店を設立した。1933年には塚原毛織第一工場が完成し、1934年には敷地内に塚原邸が落成した。事業の拡大とともに工場は西に拡張された。戦前が塚原毛織のピークであり、生産された毛織物は朝鮮満州中国などに輸出された。1927年には小牧町会議員に就任し、1944年から1945年の終戦まで小牧町長を務めた。1944年には塚原毛織が軍需工場に指定され、塚原はすべての織機を供出している。

塚原毛織には10代半ばから20歳くらいまでの女工が多かったこともあり、塚原は小牧高等女学校の開校に尽力した。また、名鉄小牧線、町村立組合春日井病院(小牧市民病院の前身)などの設立にも尽力している。木造3階建ての塚原邸は現存しており、2005年には愛知県の近代化遺産に選定された。

参考文献[編集]

  • 『ふるさと小牧 保存版』郷土出版社、2015年、pp. 50-53