垪和 宗顔(はが そうがん、弘治3年(1557年) - 天正14年4月27日[1](1586年6月14日))は、戦国時代の武将。後北条氏の家臣。
父は後北条家の重臣・垪和康忠。弟に垪和豊繁。姉妹に妙受。官途は刑部丞[1]。
康忠の嫡子であったが、父に先立って天正14年(1586年)に30歳の若さで早世。諱は不明、法名は宗顔という[1]。