品川寺

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品川寺(ほんせんじ)は東京都品川区にある真言宗醍醐派の寺院である。江戸三十三観音札所の第31番。

概要[編集]

大同年間(806年~810年)に弘法大師空海が創建したと伝えられる。品川で最も古い寺である。江戸時代に弘尊はこの草堂に住持し、「水月観音」像を奉持した。1625年、四代将軍・徳川家綱から寺領4800坪を拝領し、太田一族の庇護のもと伽藍を建立し、寺号を「金華山普門院品川寺」と改めた。

銅造地蔵菩薩坐像[編集]

1708年建立。江戸六地蔵の第一番。現存する江戸六地蔵のうち唯一頭上に傘を載せていない。東京都有形文化財。

大梵鐘[編集]

国指定重要美術品である。1657年9月18日、弘尊の発願により、徳川三代の将軍、徳川家康徳川秀忠徳川家光の供養のため京都三条の鋳物師・大西五郎左衛門尉藤原村長に命じ鋳造する。周囲に徳川三将軍の号(東照宮、台徳院殿、台献院殿)と六観音(聖・千手・十一面・准胝・如意輪・馬頭)を陽刻し、普門品一巻を陰刻している。「武蔵風土記」、「江戸名所図絵」に『世にもまれなる梵鐘』と記載される。

「洋行帰りの鐘」と言われる。梵鐘は1867年、パリ万国博覧会出品後に行方不明となったが、その後、1919年、大梵鐘がスイス・ジュネーブ市アリアナ美術館にあることを確認、順海はジュネーブ名誉領事ケルンに書簡をしたため、大梵鐘の返還の願いを送付し、大梵鐘の返還の願いを伝えた。書簡はケルンを動かし、順海の願いは、外務大臣・幣原喜重郎、スイス特別全権公使・吉田伊三郎を通じ、ジュネーブの理解を得、1929年10月15日にジュネーブ市議会は、満場一致の議決により大梵鐘を品川寺へ贈還することを議決した。1930年3月4日、大梵鐘は、ジュネーブ市を出発し、1930年4月24日、無事横浜港に到着し里帰りした。

絹本著色仏眼曼荼羅図[編集]

国指定重要文化財。鎌倉時代初期の作。東京国立博物館に寄託。

水月観音[編集]

本尊の「水月観音」は、弘法大師空海がこの地の領主、品河氏に授け、以来、1395年・品河左京亮の代まで代々同家に伝わったという。足利・上杉の合戦(上杉禅秀の乱)で品河一族は滅んだあとは、草堂に安置され「観音堂」とされた。太田道灌は「水月観音」を信仰し、あわせて自分の持仏の「聖観音」像を移して安置して伽藍を建立し、「観音堂」を「金華山普門院大円寺」と名付けた。

品川寺のイチョウ[編集]

品川区指定天然記念物。山門脇、推定樹齢600年。幹周り5.35メートル。樹高25メートル。

基本事項[編集]

  • 名称:海照山 普門院 品川寺
  • 創立:大同年間(806年~810年)
  • 開山:(伝)弘法大師 空海
  • 宗派:真言宗醍醐派
  • 本尊:観世音菩薩(水月観音・聖観音)
  • 所在地:〒140-0004 東京都品川区南品川3丁目5-17
  • 交通:京急線 青物横丁駅 徒歩4分

公式ページ[編集]