和田宿

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが和田宿の項目をおカタく解説しています。

和田宿(わだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて28番目の宿場

概要[編集]

中山道随一の難所である和田峠を控え、下諏訪宿まで22キロの長丁場となる重要な宿場である。慶長7年(1602年)に成立した。
全盛期には72軒の旅籠が軒を並べるほどだったが、幕末文久2年(1862年)に大火で大半が焼失して衰退が始まった。

明治時代に入り、当初構想された中山道幹線は和田峠を避け、保福寺峠経由で計画されたため、衰退に追い打ちをかけた。さらに中山道幹線構想が潰えた後、信越本線1888年)や篠ノ井線が開通すると、幹線交通の要所としての意味は完全に喪失し、徒歩や馬車による局所交通の拠点に成り下がった。

現在は、国道142号旧道沿いに、昔ながらの茶屋や旅籠などを残しており、古い宿場のたたずまいを現在に伝えている。
戦前に、下諏訪から和田峠越えで丸子に入る鉄道省のバス路線が出来、一時的に衰退は食い止めたものの、国鉄分割民営化後のJRバスの路線整理で、現在は諏訪側から路線バスで往来することはできない。

アクセス[編集]

外部リンク[編集]

隣の宿[編集]

中山道
長久保宿 - 和田宿 -(和田峠)- 下諏訪宿