和田宿
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和田宿(わだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて28番目の宿場。
概要[編集]
中山道随一の難所である和田峠を控え、下諏訪宿まで22キロの長丁場となる重要な宿場である。慶長7年(1602年)に成立した。
全盛期には72軒の旅籠が軒を並べるほどだったが、幕末の文久2年(1862年)に大火で大半が焼失して衰退が始まった。
明治時代に入り、当初構想された中山道幹線は和田峠を避け、保福寺峠経由で計画されたため、衰退に追い打ちをかけた。さらに中山道幹線構想が潰えた後、信越本線(1888年)や篠ノ井線が開通すると、幹線交通の要所としての意味は完全に喪失し、徒歩や馬車による局所交通の拠点に成り下がった。
現在は、国道142号旧道沿いに、昔ながらの茶屋や旅籠などを残しており、古い宿場のたたずまいを現在に伝えている。
戦前に、下諏訪から和田峠越えで丸子に入る鉄道省のバス路線が出来、一時的に衰退は食い止めたものの、国鉄分割民営化後のJRバスの路線整理で、現在は諏訪側から路線バスで往来することはできない。
アクセス[編集]
- しなの鉄道大屋駅からジェイアールバス関東和田峠北線に乗り、上和田を下車してすぐ。