名誉会計

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名誉会計(めいよかいけい)とは主に社団財団或いはスポーツ分野の連盟に見られる名誉役員職名のひとつ。組織によっては名誉会計委員、名誉会計主事という名称である場合も含むがいずれも本項で解説する。

親睦団体における名誉会計委員[編集]

明治時代、政財界の親睦団体であった東京倶楽部では、1886年(明治19年)、当時、外務書記官であった鳩山和夫に同倶楽部名誉会計委員への就任を要請され、当時の読売新聞で報道された[1]

スポーツ連盟における名誉会計主事及び名誉会計[編集]

名誉会計とは、スポーツ競技団体等に見られる主な名誉役員の職名の一つである。その名の通り、会計を司る職名であるが、決して名目上の職名ではなく財務をはじめ、各国の競技会の視察を通じて意思決定にも関与する役職である。スポーツの国際連盟としては、アジア競技連盟では名誉会計主事という職名がある。1968年当時、次のアジア競技大会の開催国として内定していた韓国は同年1月の北朝鮮の犯行による青瓦台襲撃未遂事件もあり、開催が危ぶまれた際は、韓国や日本の競技団体関係者の他、同連盟のウォルター・ジョンも開催に関する同意を求めるべくタイはじめアジアの競技参加国を歴訪している。最終的に韓国は第7回アジア競技大会の開催を返上しているものの、開催をめぐり、その合意形成と意思決定に深く関与している[2]。その他、国際陸上連盟ではフレデリック・ホルダーらが名誉会計を務め、日本が1983年の東京マラソンで外国人選手を招聘し開催した際は連盟役員としてこれに立ち会っている[3]。同じく1983年には日本オリンピック委員会としてアジアオリンピック評議会の名誉会計候補として岡野俊一郎を選出したことが新聞などでも報じられており[4]、一連の事例からも国際競技大会の運営をめぐって名誉会計が重要な役割を果たしていたことがわかる。

日本国内の競技団体では日本陸上競技連盟が1938年に発表した役員人事として、名誉主事に加藤英夫、名誉会計に小山勝らをそれぞれ任命したことが報道されるなど戦前から名誉役員の職名として名誉会計を置いていた[5]。戦後も日本体育協会が1961年に大学スポーツ競技をつかさどるユニバーシアード委員会の人事として委員長津島寿一、副委員長に田畑政治、名誉秘書に北沢清、名誉会計として龍田峻次の4名を再任したことが報じられており[6]、太平洋戦争の戦前、戦後を通じ、競技団体の主要な役員ポストとして定められている。

各種協会の名誉会計[編集]

世界各国の各種団体でも名誉役員の職名の一つとして定める例がある。タイ旅行業協会では理事会組織として、会長、4名の副会長、名誉事務局長のほか、名誉会計を置き、その他に広報部、登記コーディネーター、委員会役員など13名の役員で構成している。理事会では協会の政策決定、教会活動の監督を行う。理事会員は2年間任期で、名誉事務局長の下に事務局組織があり、95名にスタッフで運営され、製作、計画の実施を行っている[7]

脚注[編集]

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  1. 「東京倶楽部が鳩山外務書記官に名誉会計委員就任を依頼」『読売新聞』1889年3月20日朝刊2頁参照。
  2. 「あすからタイ説得 アジア大会 AF委員出発」『読売新聞』1968年6月6日朝刊10頁参照。
  3. 「モセーエフ試走 注目のソ連勢の来日/東京マラソン」『読売新聞』1982年12月9日朝刊17頁参照。
  4. 「[ニューススポット]OCA名誉会計候補決定」『読売新聞』1983年6月28日朝刊16頁参照。
  5. [「陸連の陣容編成衣替え」『読売新聞』1938年4月10日朝刊4頁参照。
  6. 「委員長は津島氏に 日本ユニバーシアード委員会」『読売新聞』1961年4月20日朝刊6頁参照。
  7. タイ旅行業協会ウェブサイト「英語版トップページ」参照。

参照文献[編集]

報道資料[編集]

  • 『読売新聞』1961年4月20日朝刊
  • 『読売新聞』1968年6月6日朝刊
  • 『読売新聞』1982年12月9日朝刊
  • 『読売新聞』1983年6月28日朝刊

インターネット資料[編集]