岡野俊一郎

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サッカーボール.jpg 岡野 俊一郎
選手情報
本名 岡野 俊一郎
英字表記 Shunichiro Okano
生年月日 1931年8月28日
出身地 日本東京都
没年月日 2017年2月2日(満85歳没)
ポジション フォワード
代表チーム
1955 日本
監督チーム
1970-1971 日本
サッカーボール.jpg
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岡野 俊一郎(おかの しゅんいちろう、1931年8月28日 - 2017年2月2日)は、日本サッカー選手、監督、日本オリンピック委員会専務理事、文化功労者。2002年のW杯を成功させた功労者でもある。

経歴[編集]

東京都出身。東京大学に入学し、この大学時代にサッカーの日本代表として入る。1964年の東京オリンピックでコーチとなり、日本を8強の1に導く。1968年のメキシコシティオリンピックでは銅メダルを獲得した。1970年から1971年にかけては監督として日本代表の指揮をとる。

その後、日本オリンピック委員会(JOC)で日本体協からの独立に尽力し、JOC専務理事となる。1990年から2011年まで21年にわたりJOC委員を務めるなど重きを成した。この間、1998年には日本サッカー協会会長に就任し、W杯の準備や運営に尽力し、2005年には日本サッカー殿堂入りする。

2012年、文化功労者に選ばれるも、同年に肺癌を患っていることが明らかとなる。2016年からは日本サッカー協会の相談役を務める。

2017年2月2日午後10時56分、肺癌のため東京都内の病院で死去した。享年85。

代表チームの統計[編集]

日本代表
試合 得点
1955 2 0
通算 2 0

外部リンク[編集]