史思明
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史 思明(し しめい、? - 761年[1][2])は、唐時代の安史の乱における反乱軍の第3代指導者。燕の第3代皇帝(在位:759年 - 761年[1])。
生涯[編集]
安禄山と同郷の現在の遼寧省出身の部下で、漢民族ではなく突厥系との混血の異民族である[1][2]。唐の時代に安禄山の上奏を受けて節度使になり[1]、唐において安禄山と共に戦功を立てた[2]。
755年に安禄山が安史の乱を引き起こすと同調するが、757年に安禄山が息子の安慶緒に殺害されると唐の粛宗に対し帰順し[1]、帰義王・范陽節度使に任命される[2]。しかし粛宗に殺されそうになるに及んで再度唐から離反し、安慶緒の下に戻るが間もなく彼を殺してその軍を吸収し[1]、皇帝に即位し反乱を継続した[2]。
だが史思明も安禄山同様に末子の史朝清を偏愛して長男の史朝義を廃嫡しようとしたため、その史朝義により縊り殺され[1][2]、皇位は奪われた。