千屋 文大夫(ちや もんだゆう)は、戦国時代の武将。長宗我部氏の家臣。
千屋家は菅原氏の末裔とされ、中世から土佐国香美郡田村庄下田村に居城を持っていた名家で、戦国時代には森、国沢、蚊井田の諸氏と並んで土佐七雄に次ぐ2000貫の所領を有していた。長宗我部元親が台頭するとその家臣となり、田村の土居にあって一族七家の中心として栄えたという。分家は安芸郡和食、吾川郡弘岡や八田、森山、伊野、賀田、幡多郡入野、中村、具同の各村に勢力を拡大した[1]。