北陸鉄道6010系電車

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北陸鉄道6010系電車(ほくりくてつどう6010けいでんしゃ)とは、かつて在籍した北陸鉄道の電車車両の1形式。日本で2番目のアルミ合金製高速電車であり、転換クロスシートを備え、「くたに」を名乗った6000系に対して「しらさぎ」の愛称を持っていた。

本系列は加南線に配置されたが廃止後は大井川鐵道に譲渡された。本項では譲渡後の大井川鉄道6010系電車についても解説する。

概要[編集]

1960年代、加南線では温泉需要が急増しており、6000系2連1本が製造され運用に就いていたが、その増備車として2両1組の本系列が翌年に日本車両製造にて製造され登場した。

構造[編集]

先述の通り、アルミ車体が採用されたが18m2ドアセミクロスという基本的な構造は6000系に準ずる。

アルミ車体が採用されたのは主要機器を在来の15m車からの旧品流用とするためであり、6000系に準じた18m鋼製車体をくっつけて重量過大とならないように採用されたものとみなして良い。

前面形状は平面ガラスを組み合わせた6000系に対し、曲面ガラスとしたため「しらさぎ」らしくより美しいデザインとなった。

旧品流用となっている主要機器は、実はまさかの吊り掛け式で、主電動機は東芝製の78.3kW(端子電圧600V時)のもので、国鉄のMT4[1]と同一品であった。主制御装置は新製され、日本車輌製の電動カム軸式のものとなった。

台車もイコライザー式の流用品で、近代的な車体外観とは不釣り合いな足回りとなった。

この流用品のうち電動車のものは国鉄から払い下げられた旧伊那電気鉄道の車両のものである。

こうしてクモハ6011-クハ6061の2両編成1本のみが製造された。

沿革[編集]

本系列は6000系とともに山中線の看板電車として運転されたが、1971年に加南線が廃止されると6000系と同様に他線への転属ができず、大井川鐵道へと譲渡され同社の6010系となった。

大井川鉄道6010系電車[編集]

譲渡直後は1500V昇圧工事を一旦見送り、付随車代用として、愛称をしらさぎとしたままデハ308に牽引、推進されて運用されたが、1972年3月8日に以下の改造工事を行った。

  • 主制御装置を名鉄で廃車された3800系からの発生品であるES-516Cに換装
  • 主電動機の直並列の繋ぎ変え

これにより2両単独での運用が可能になった。

以降は2両固定編成であることやアルミ車体で整備性も良かったことから重宝され、1984年にはワンマン化のために運賃箱等が設置された。また、時期は不明だが、クハ6061に自販機が設置されたり、主電動機等を名鉄で廃車になったAL車からの発生品に換装されたりした。1990年代に入ると照度不足であった白熱灯の前照灯を挟む形でシールドビームが2灯設置され、従来の白熱灯は使用停止となった。こうして先輩の6000系が1996年に廃車解体されたあとも生き残っていたが、冷房装置は廃車まで搭載されなかった。

しかし、流石に老朽化は否めず、末期は予備車となっていた。1998年には1000系との併結運用に就いていた際に脱線事故を起こし、ここで廃車となる予定だったが、1000系の損傷具合が激しく復旧不能とみなされ1000系のほうが廃車になり、本系列は復旧され運用に復帰した。

最終的に2001年をもって運用離脱、2002年10月18日付で廃車となった。しかし、直後に解体処分とはならず千頭駅に留置されたままの状態がしばらく続いた。

静態保存[編集]

留置状態のまま2005年に入り、山中町(現在の加賀市)が本系列を静態保存させたいと申し入れてきた。これは山中町が同年に市町村合併で消滅するが、地元の記念品として展示保存するためであった。

こうして同年8月に2両とも「道の駅山中温泉 ゆけむり健康村」に搬入され、大切に静態保存されている。なお、新たに設置された前照灯については撤去され、北陸時代の外観に復元されたが、内装の一部は大井川鉄道時代のままである。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 端子電圧675V時、定格出力85kW、定格回転数890rpm