北畠 親成(きたばたけ ちかなり、永禄3年(1560年) - 天正4年11月25日(1576年12月15日))は、戦国時代の武将。北畠氏の一族。
伊勢国司・北畠具教の3男[1]。兄弟姉妹に具房、長野具藤、雪姫(織田信雄室)、女(不破直光室)、徳松丸、亀松丸。
天正4年(1576年)11月、織田信長・信雄の命令で伊勢田丸城に誘き出されて殺された[1]。享年17[1]。