北条種時 (政顕の子)
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北条 種時(ほうじょう たねとき、? - 正慶2年/元弘3年5月25日(1333年7月7日))は、鎌倉時代後期の北条家の一族で鎮西探題の代行を務めた[1]。家系は金沢流北条家。父は北条政顕[1]。母は不詳[1]。兄弟に家政・顕茂・顕義・師顕・時継・高政・貞義。
生涯[編集]
北条政顕の子で、鎮西探題を勤めていた父が正和4年(1315年)10月に辞職してから翌年の12月にかけてまで鎮西探題の職を代行した[1]。北条英時が鎮西探題として正式に着任すると代行から離れた[1]。
後醍醐天皇の討幕運動が九州にまで及び、鎮西探題が島津氏や大友氏に攻められて滅亡を迎えた際、探題の英時や一族らとともに自害した[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 北条氏研究会『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社 2001年