北条種時 (政顕の子)

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

北条 種時(ほうじょう たねとき、? - 正慶2年/元弘3年5月25日1333年7月7日))は、鎌倉時代後期の北条家の一族で鎮西探題の代行を務めた[1]。家系は金沢流北条家。父は北条政顕[1]。母は不詳[1]。兄弟に家政顕茂顕義師顕時継高政貞義

生涯[編集]

北条政顕の子で、鎮西探題を勤めていた父が正和4年(1315年)10月に辞職してから翌年の12月にかけてまで鎮西探題の職を代行した[1]北条英時が鎮西探題として正式に着任すると代行から離れた[1]

後醍醐天皇の討幕運動が九州にまで及び、鎮西探題が島津氏大友氏に攻められて滅亡を迎えた際、探題の英時や一族らとともに自害した[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f 北条氏研究会『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社 2001年、208頁

参考文献[編集]

  • 北条氏研究会『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社 2001年