劉 祥(りゅう しょう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将[1]。父は劉曜。子に劉巴
荊州江夏郡太守を務め、190年に諸侯が反董卓の挙兵をした際には孫堅に協力して挙兵する[1]。孫堅と共に非協力的で兵糧の供給に応じなかった南陽郡の張咨を共に殺害し、これが後に多くの豪族から怨まれる原因となって自らも豪族らに攻められて戦闘になり、戦死した[1]。