劉承祐

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劉 承祐(りゅう しょうゆう、931年 - 950年)は、五代十国後漢の第2代皇帝(在位:948年 - 950年[1])。隠帝(いんてい)と呼ばれる[1]。兄弟に劉承訓劉承勲

生涯[編集]

父は初代皇帝の高祖で次男[1]。948年に父帝が崩御したため跡を継いだ[1]。しかし父が1年と短期間で没した上、父が即位する際に協力した家臣が要職を占めたため彼らによる政変[1]が起こる。隠帝の時代、実力者として台頭したのは枢密使の郭威で、内乱やとの防衛戦で功績を立てて人望を集めたが[2]、それにより郭威を恐れた隠帝は彼を殺害しようとし、まずは彼が留守の隙に一族を皆殺しにした。ところがこれで郭威が逆に反乱を起こし、その兵乱の中で隠帝は殺された。享年20。

後継者に郭威は隠帝の養兄弟である劉贇を立てたが、間もなく劉贇も殺されて後漢は完全に滅亡。残った一族は叔父の劉崇を頼って北漢を建国し、郭威は後周を建国した。

脚注[編集]

  1. a b c d e 河出書房新社『中国歴代皇帝人物事典』、P175
  2. 河出書房新社『中国歴代皇帝人物事典』、P176

参考文献[編集]