福島越前守(ふくしまえちぜんのかみ)とは今川氏の家臣である。また、福島正成と同一人物とする考えがある。 1536年に起こった花倉の乱で死亡したとされる。
越前守は福島正成と同一人物とされてきたが近年は別人とも言われている。生涯のほとんどが不明である。 久能城主だとも伝わる。
花倉の乱では寿桂尼が説得したが親戚の今川良真派についた。その後久能城で挙兵し、今川館を襲撃。その後北条の援軍も入った義元派に敗北。その後北条綱成に討ち取られたとされる。