出世稲荷神社 (飯能市)

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出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ)は、埼玉県飯能市山手町にある稲荷神社。通称、内出稲荷鎌倉時代の武士・判乃氏と関わりがあるとされる[1]天明9年(1789年)の古文書が残っている[2]

祭神[編集]

歴史[編集]

創建年や由来は不明だが、江戸時代にも信仰されていた[4]。鎌倉時代初期に現在の当社及び隣接する天理教中武分教会(大泉寺跡地)付近に丹党の武士・判乃基兼が館を構えていた。当社はこの基兼が勧請したとも[3]、農民になった判乃氏の子孫が先祖の供養のために大泉寺を建てると共に、農業神である稲荷神を祀ったものとも考えられている[4]

文政13年(1830年)に完成した『新編武蔵風土記稿』の飯能村の項には村持の稲荷社が一社あり、それが当社であるとされる[4]。江戸時代から昭和38年(1963年)まで無尽が行われていた[5]

明治27年(1894年)から明治28年(1895年)の日清戦争の頃は「出征稲荷」と呼ばれていた[1]

昭和57年(1982年)、社殿の掃除中に天明9年(1789年)の「稲荷講覚帳」など江戸時代の古文書や掛軸、幟などが見つかった[1]

昭和58年(1983年)、世話人が中心になって『出世稲荷神社史』と題するB版33頁の冊子を刊行した[6]

昭和59年(1984年)、当社が京都の伏見稲荷大社系の稲荷であることが判明したため、伏見稲荷大社宮司揮毫の社号を掲額した[7]

建造物[編集]

  • 本殿 - 総けやき造。屋根は唐破風明神造。江戸時代の作と推定される[8]。特に彫刻の評価が高い[1][4]
  • 覆殿 - 昭和6年(1931年)に建造された[8]
  • 拝殿[8]
  • 一ノ鳥居 - 明治中期には既に存在していた[8]
  • 二ノ鳥居 - 昭和25年(1950年)に奉納された[8]
  • 稲荷大明神神明塔 - 入口にある。嘉永4年(1849年)年に建立された。銘には「正一位出世稲荷大明神」とある[9]
  • 観音寺方面から当社へと続く道はかつての参道で、入口に鳥居が建っていた[8]

絵馬[編集]

対面狐の絵馬がある。商売繁盛・生業繁栄を祈願してあげたもの[10]

行事[編集]

『飯能なんでも大全集』(1983年)によれば2月の第2日曜日[2]、『出世稲荷神社史』(1984年)によれば2月の初午の日に祭礼が行われている[11]。この祭礼は「まゆ玉まつり」として知られている[1]

交通アクセス[編集]

所在地:埼玉県飯能市山手町10番地

脚注[編集]

  1. a b c d e 「江戸時代の古文書や幟 出世稲荷(飯能一小前)で見つかる」文化新聞、昭和58年1月9日3面(第10312号)
  2. a b 飯能青年会議所広報委員会編 1983, pp. 141.
  3. a b 新井清寿 1984, 宮司による「発行のあいさつ」.
  4. a b c d 新井清寿 1984, p. 1-3
  5. 新井清寿 1984, p. 24
  6. 「出世稲荷の由来を刊行」文化新聞、昭和58年12月6日2面(第10581号)
  7. 「社号掲額やマラソンも 出世稲荷山手町の世話人が企画」文化新聞、昭和59年2月1日1面(第10624号)
  8. a b c d e f 新井清寿 1984, p. 5
  9. 飯能市教育委員会 1992, pp. 166,251.
  10. 飯能市教育委員会 1997, pp. 33.
  11. 新井清寿 1984, p. 6

参考文献[編集]

  • 新井清寿・文、藤野淳・写真 『出世稲荷神社史』 出世稲荷世話人会、1984年
  • 飯能市教育委員会 『飯能の石像遺物 連帯のエネルギー』 飯能市教育委員会、1992年
  • 飯能市教育委員会 『飯能の絵馬 描かれた祈り』 飯能市教育委員会、1997年
  • 飯能青年会議所広報委員会編 『飯能なんでも大全集』 飯能青年会議所広報委員会、1983年
  • 「江戸時代の古文書や幟 出世稲荷(飯能一小前)で見つかる」文化新聞、昭和58年1月9日3面(第10312号)。
  • 「出世稲荷の由来を刊行」文化新聞、昭和58年12月6日2面(第10581号)。
  • 「社号掲額やマラソンも 出世稲荷山手町の世話人が企画」文化新聞、昭和59年2月1日1面(第10624号)。