内村不敬事件(うちむらふけいじけん)とは、明治24年(1891年)1月9日に発生した事件である。
当時、第一高等中学校の嘱託の教員だったキリスト教の伝道者である内村鑑三が、教育勅語の奉読式において拝礼することを拒否した。当時、天皇は現人神であり絶対的な存在だったため、この行動は不敬であると非難され、内村は教員を辞職することを余儀なくされた。
以後、内村は著述活動に専念し、「聖書之研究」を創刊して既存の教派によらない無教会主義を唱えてゆくことになる。