共産主義者同盟国際主義派

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共産主義者同盟国際主義派(きょうさんしゅぎしゃどうめいこくさいしゅぎは)は、共産同系の新左翼党派。

1972年5月13日に共産主義者同盟(戦旗派)は神田周辺で大規模な火炎瓶闘争を行った(御茶の水解放区闘争)。この闘争で128名もの逮捕者を出したことで指導部の責任を巡って内紛が激化し、1973年4月から12月にかけて「荒派」「両川派」「本多派」「国際主義派」の4派に分裂した[1]。1973年4月に結成された国際主義派は、戦旗派内の極左派が名乗ったもので[2]、1979年7月に日本共産党(プロレタリア革命派)と「日本共産党再建準備会議」を開催し[3]、1980年7月に同派と合体して日本共産党(行動派)を結成した[4][5]

日本共産党(行動派)との関係[編集]

日本共産党(行動派)によれば、1980年7月15日に日本共産党(行動派)再建大会が開催され、大武礼一郎の呼びかけで日本共産党プロレタリア革命派、共産主義者同盟(国際主義派)、労働運動団体などの代表数十名が出席した[6]

『戦後革命運動事典』の系図によれば、国際主義派は日本マルクス・レーニン主義運動が源流の日本共産党(行動派)に合流した[7]

『新左翼三十年史』の系図によれば、日本共産党(プロレタリア革命派)と共産主義者同盟(国際主義派)が日本共産党(行動派)に合流した[8]

脚注[編集]

  1. 田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』立花書房、1985年、128頁
  2. 田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』立花書房、1985年、294頁
  3. 田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』立花書房、1985年、311頁
  4. 田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』立花書房、1985年、250頁
  5. 高木正幸「学生・新左翼運動」平凡社『世界大百科年鑑 1981』平凡社、1981年、138頁
  6. 日本共産党(行動派)中央委員会書記長・森久. “2013年7月集会の基調報告PDF”. 日本共産党(行動派).
  7. 「反日共系・新左翼各派の系譜」戦後革命運動事典編集委員会編『戦後革命運動事典』新泉社、1985年
  8. 「新左翼系統略図」高木正幸『新左翼三十年史――年表・系図・索引付』土曜美術社、1988年