共産主義者同盟
共産主義者同盟(きょうさんしゅぎしゃどうめい、独:Bund der Kommunisten)は、1847年にロンドンで結成され1852年に解散した国際的秘密結社。史上初の国際的労働者組織である[1]。
概要[編集]
1834年にフランス・パリ在住のドイツ人政治亡命者や渡り職人らが「追放者同盟」を結成した。ドイツでの王制打倒、民主主義的共和制国家の樹立を目指した団体であり、1836年にこの中から共産主義的思想を持った職人たちが分裂して「義人同盟」を結成した。指導者はヴィルヘルム・ヴァイトリング、綱領文書はヴァイトリングが1838年に執筆した『人類、その現状と理想像』、スローガンは「すべての人は兄弟である」。
ヴァイトリングと対立し、新たに義人同盟の指導者となったカール・シャッパー、ヨゼフ・モルは、カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルスと連携し、1847年6月にロンドンで開かれた大会で共産主義者同盟に名称を変更した。新スローガンは「万国のプロレタリア団結せよ!」。成員は約500名で、ブリュッセル、パリ、スイスに散在した。同盟はマルクスとエンゲルスに綱領の執筆を依頼し、1848年2月に『共産党宣言』として公表された[2]。
1848年に三月革命が勃発すると『ドイツ共産党の要求』を発表し、4月に本部をドイツのケルンに移転した。1848年の革命期には民主主義、共和主義陣営に属し、労働者の啓蒙やデモの組織化などを行った。内部では路線をめぐる対立があり、1849年に民主派が分裂した。革命の敗北後は成員の大半がドイツから亡命、1851年にはプロイセン警察の陰謀によって成員が大量検挙され、その大半が1852年秋の裁判で有罪判決を受けた(ケルン共産主義者裁判)。マルクスは運営が困難となった同盟の解散を提案し、1852年11月に正式に解散した。