八代 国治(やしろ くにじ、明治6年(1873年)1月2日 - 大正13年(1924年)4月1日)は、明治時代から大正時代にかけての歴史学者。長慶天皇在位の結論を出したことで知られる。
千葉県に生まれる[1]。国学院を卒業し、史料編纂官となり、国学院大学教授も兼任する[1]。中世武家時代史を専門として皇室や荘園などの歴史で多くの優れた研究・業績を残した[1]。
大正12年(1923年)5月からアクチノミコーゼ(放射線菌床)にかかって療養する[1]。しかし快復せずに翌年の4月1日に死去した。享年52[1]。