八丁和生

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八丁 和生(はっちょう かずお、1936年11月15日 - 1988年3月25日[1])は、政治学者。社会問題研究所専任所員[2]。「はっちょうかずお」名義でも活動した。

経歴・人物[編集]

北九州市戸畑区生まれ。1960年九州大学法学部政治学科卒[1]。1963年社会問題研究所福岡県。1962年9月設立)に入所[1][3]。1964年九州大学大学院法学研究科修士課程修了。1981年1月日本社会党福岡県本部理論センター委員。1983年1月奥田八二福岡県知事候補の支持母体「清潔な県民本位の県政をつくる会」(県民の会)の政治プロジェクトチームのメンバー。同年2月九州公共交通問題研究会座長。同年11月社会問題研究所事務局長[1]。1982年国鉄労使関係研究会委員[4]。1988年3月25日、くも膜下出血のため死去、51歳[3]

社会主義協会太田派に所属[5]。「反独占民主改革」の立場をとり、先進資本主義国での社会主義の追求は「東側の社会主義」の資本主義への優位性を強調するだけでは充分ではなく、日本も「西側の社会主義」の一翼を担うべきだと主張した[3]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『いま、国鉄は――深まる危機と国民の選択』(法律文化社、1982年)
  • 『ポスト戦後政治――「企業国家」をこえて』(第一書林、1986年)

編著[編集]

  • 『地方自治の危機とその克服――新しい自治の展望をもとめて』(奥田八二共編著、法律文化社、1976年)
  • 『あたらしい教育の創造――荒廃を原点から問う』(待鳥恵共編著、草風社、1980年)

出典[編集]

  1. a b c d 「はっちょうかずお氏急逝」『進歩と改革』437号、1988年5月
  2. 八丁和生『いま、国鉄は――深まる危機と国民の選択』法律文化社、1982年
  3. a b c 衣笠哲生「八丁和生さんを悼む」『進歩と改革』438号、1988年6月
  4. ものがたり戦後労働運動史刊行委員会編『ものがたり戦後労働運動史Ⅹ――全民労協の発足から連合結成へ』教育文化協会、1999年、46頁
  5. 秋山謙祐『語られなかった敗者の国鉄改革――「国労」元幹部が明かす分割民営化の内幕』情報センター出版局、2009年、81頁

関連文献[編集]

  • 兵藤釗編『国鉄労働運動への提言』(第一書林、1984年)
  • 八丁和生さんを偲ぶ文集作成委員会編『山より高きその志――八丁和生を偲ぶ』(社会問題研究所、1989年)