全 柔(ぜん じゅう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。子に全琮。孫に全緒・全寄・全懌・全呉。曾孫に全輝・全禕・全儀・全静。
後漢王朝の尚書郎右丞であったが、董卓が政権を掌握するとその専横を嫌って故郷に逃げ帰った[1]。孫策が江南を支配すると軍を率いて自ら孫策への臣従を申し込み、江南の治安維持などで功績を挙げた[1]。
彼の跡は息子の全琮が継いだ。全柔が全琮に対して呉郡に米を運んで売却する任務を命じた際、全琮がその米を民に数千石程施したので怒ったが、全琮は士人が苦しむのを見かねたためだと謝ったのを見て、かえって全琮の非凡さを認識したという。
- ↑ a b 渡邊『ビジュアル三国志3000人』P128
参考文献[編集]