伊沢左近将監家景の墓
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伊沢左近将監家景の墓(いざわさこんしょうげんいえかげのはか)とは、宮城県宮城郡利府町加瀬字窪に存在する伊沢家景の墓である。
概要[編集]
伊沢家景とは、元は京都の公家に仕える文官であったが、北条時政と出会った際にその才能を認められて源頼朝に推挙されて御家人となった人物である。この経歴から、家景は武士といっても戦場で働く武士ではなく、行政方面で働く官僚であった。家景は陸奥鎮守府の留守を任され、その子孫は奥州において大いに繁栄した。
家景の墓は臨済宗天祥寺の境内にある。元々は天台宗加灘寺と呼ばれていた家景自身が開基した寺であったと言われており、位牌が安置されている。
墓石は高さ1.6メートル、幅は0.8メートルで、その中央に「元祖・加灘寺殿従四位・左近将監瑞山雲大居士・承久三年辛己十一月三日」と刻まれている。傍らに「左近将監藤公ノ碑」という高さ2メートル、幅1メートルの石碑がある。