于 糜(う び、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。劉繇の家臣。
劉繇の家臣で樊能と共に横江津に駐屯して袁術の攻撃を数年にわたり防ぐ[1]。194年に孫策が江東平定を目指して攻め込んでくると敗れ、さらに牛渚も落とされてしまう[1]。于糜と樊能は一時は牛渚を奪還するなど善戦したが、孫策の反撃にあって再度敗北し、以後は記録に登場しない[1]。
『三国志演義』では孫策と一騎討ちに及ぶがわずか3合で敗れて生け捕られ、絞め殺されている。