久米兄弟仇討地(くめきょうだいあだうちち)とは、宮城県石巻市渡波字祝田浜に存在する「久米幸太郎・復讐之地」という碑が建立されている場所である。
この場所は江戸時代末期に、江戸幕府が公式に許可した最後の敵討ちをした場所といわれている。浜辺にそれを顕彰する碑が建立されている。
久米兄弟とは越後国新発田藩士・久米盛昌の息子で、父の仇である滝沢休右衛門を探して日本全国を約40年にもわたって巡り歩き、そして大原村谷川浜の洞福寺に僧侶として潜伏していた滝沢を遂に見つけ出して、安政4年(1857年)12月9日にこの浜辺で敵討ちを果たしたと伝わっている。
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