久保田新田藩
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久保田新田藩(くぼたしんでんはん)は、久保田藩の支藩であり、江戸時代中期のわずかな期間だけ存在した。秋田新田藩とも言われる。藩主家は外様大名の佐竹氏。藩庁は新田藩のため存在しない。
概要[編集]
久保田藩(秋田藩)主の佐竹義隆の長男・佐竹義寘は長男であったが庶子であったため、宗家の家督を継ぐことはできなかった。義寘の死後、その家督は子の義都が継承し、元禄14年(1701年)に叔父の久保田藩主・佐竹義処から1万石を分与されて大名として諸侯に列し、久保田新田藩を立藩した。ただし、江戸に定府したままの定府大名であり、領地はなく久保田藩から1万石の蔵米を支給され、家臣団も久保田藩から付けられたいわゆる完全な久保田藩監督下による藩にすぎなかった。
義都の跡を継いで第2代藩主となった義堅は、享保17年(1732年)に久保田藩主・佐竹義峯の養嗣子となったことから、久保田新田藩は廃藩となって1万石は久保田藩に収公された。
歴代藩主[編集]
佐竹家[編集]
外様 1万石(1701年 - 1732年)