中島秋挙
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中島 秋挙(なかじま しゅうきょ、安永2年〈1773年〉 - 文政9年〈1826年〉7月25日)は、江戸時代後期の俳人。名は惟一。字は子徳。号には曙庵などもある。
経歴[編集]
- 安永2年(1773年) - 三河国碧海郡熊村(現愛知県刈谷市)の刈谷藩藩士の家に生まれる。
- 享和2年(1802年) - 弟に家督を譲る。鶴田卓池の紹介で井上士朗の門に入る。
- 文化8年(1811年) - 広瀬惟然の句集『惟然坊句集』を発刊する。
- 文化9年(1812年) - 師の井上士郎の看病を行う。
- 文政9年(1826年) - 死去。享年54。
参考文献[編集]
- 三ツ松悟『刈谷の俳人・中島秋挙』刈谷ふるさとガイドボランティアの会、2019年