中尊寺

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ちゅうそんじ
中尊寺
中尊寺経蔵.jpg
中尊寺経蔵
山号関山
宗派天台宗
寺格東北大本山
本尊釈迦如来
創建年1105年
開山円仁
開基藤原清衡
公式HPwww.chusonji.or.jp/index.html

中尊寺(ちゅうそんじ)は、岩手県平泉町にある天台宗の寺院。

中尊寺本堂の門

概要[編集]

850年円仁という僧侶が開山して開いたのが起源とされる。

それから約200年後、前九年の乱に勝ち奥州藤原氏を引き取った清原武則が平泉を占領して、の採取が活発になった。

武則が死ぬと、中尊寺開山の祖である藤原清衡の兄・藤原真衡藤原家衡と清衡とで家督争いが起こった。後三年の乱と呼ばれるその戦いは泥沼戦となり、真衡の死後に源氏の源義家が不利になった清衡に見方をして、家衡は戦死した。清衡は家督を継いで、その時に集めた金銭で中尊寺を作った。

雪の中の中尊寺金色堂。創建当初は金色であったが、次第に色褪せていった為昭和時代中頃に全面修理された。尚、金色堂を雨風などから守るため金色堂を覆っている建物があるため金色堂そのものは中にあり、覆っている建物は覆堂という名がつく。

作られた場所は関山という山で、一つの塔を建てたことが始まり。その後拡大していき、1124年にあの中尊寺金色堂が作られた。

戦国時代稗貫氏の動乱にも乗じずに安泰を保ち続け今日まで続くが、江戸時代には金色堂の色は褪せてゆき、松尾芭蕉もこのような句を残した。

五月雨の降り残してや光堂

第二次世界大戦中にも崩壊しなかった中尊寺だが、1963年に大規模工事が始まり金色堂や仏像など色々なものが修理された。金色堂を覆う覆堂ほ立て替えられていて、昔の覆堂は中尊寺旧覆堂として別の場所に移動されている。

現代では2011年東日本大震災を受け、毎年被害者供養が行われている。

関連項目[編集]