ヴィンセント・ソラノ
ヴィンセント・ソラノ(英語:Vincent Solano、1919年[1][注 1] - 1992年11月16日)は、アメリカ合衆国の労働組合幹部、マフィア幹部。国際建設労働組合(LIUNA)第1支部長。シカゴ・アウトフィットのカポレジームで、ノースサイドの大部分とその近郊をテリトリーにするラッシュ・ストリート・クルーのボス[2][注 2]。
経歴[編集]
若い頃からヘンズ・マガディーノ、ジョゼフ・アイウッパ、アンソニー・アッカルドらとともにシカゴで活動していた[3]。シカゴのノースサイドのカポだったロス・プリオの運転手兼ボディーガードを務めた[4][5]。その後、少なくとも1977年から1992年に死亡するまでシカゴ・アウトフィットのカポを務めた[6]。『組織犯罪と労働組合』(1978年)によると、1972年にプリオが死亡した後、彼のテリトリーを受け継いだ。ジョゼフ・アイウッパの下でシカゴの非合法活動をコントロールする5人の副官の1人で、ノースサイドのギャンブル、売春、ゆすりを担当した[4]。『シカゴの組織犯罪』(1983年)によると、1970年代後半にドミニク・ディベラの後任としてノースサイドのカポになった[5]。
また少なくとも1977年から1992年に死亡するまで国際建設労働組合(LIUNA)の第1支部長を務め[6]、組合員の賃金と福利厚生の向上で功績を残した[7]。第1支部にはシンジケートのメンバーであるジョゼフ・アイエロ、サル・グルッタダウロらが執行委員として所属していた[4]。部下の1人だったケン・エトーによると、ソラノは第1支部の組合会館を利用して違法なギャンブル、恐喝、売春のラケットを運営していた[8]。
1983年に部下のケン・エトーが司法取引を行うことを恐れ、彼の殺害を命じたとされる[6][9][10]。1983年1月19日にエトーは賭博罪で有罪判決を受けた。1983年2月9日にエトーは同僚のジョー・アーノルドから呼び出しの電話を受けた。翌2月10日にエトーはアーノルドとジョゼフ・ディヴァルコに会い、アーノルドからソラノが一緒に夕食をとるためレストランで待っていると言われた。エトーは1人で車を運転してレストランに向かい、途中で案内役のジャスパー・キャンピスとジョニー・ガッツォ(クック郡保安官補佐)を後部座席に乗せたが、レストランの駐車場でガッツォに後頭部を3発撃たれた[11]。しかし、エトーは奇跡的に一命を取り留め、政府の情報提供者になった。エトー殺害が失敗したのは装弾の不備で火薬にパンチがなかったためだった[10]。5ヶ月後の1983年7月、シカゴ郊外の駐車場に放置されていた車のトランクの中からキャンピスとガッツォの死体が発見された。エトー殺害に失敗した罰と口封じのために殺されたと見られる[11]。ノースサイドのラケットのボスだったディヴァルコは失脚した[10]。1985年の組織犯罪に関する大統領諮問委員会でエトーはソラノが自分の殺害を命じたこと、ソラノがラッシュ・ストリートとオールド・タウンのナイトクラブ街をはじめとするノースサイドや北部郊外のギャンブル、売春、高利貸しのボスであることを証言した[7]。ソラノは証言台に呼ばれたとき、憲法修正第5条を行使して質問に答えるのを拒否した[9]。
1992年11月16日、イリノイ州ライルの自宅で自然死した。72歳だった。前立腺癌の治療を受けていた[7]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ Encyclopedia of World Crime: S-Z ; Supplements - 2812 ページ
- ↑ IPSN, August 10, 1997 Laborers’ Union Hearings Reveal Endless Mob Saga
- ↑ 村上早人『モンタナ・ジョー――マフィアのドンになった日本人』JICC出版局、1993年、152頁
- ↑ a b c Peter Vaira and Douglas P. Roller. Organized Crime and the Labor Unions. report prepared for the Carter White House, 1978. [1]
- ↑ a b United States. Congress. Senate. Committee on Governmental Affairs. Permanent Subcommittee on Investigations. Organized Crime in Chicago: Hearing Before the Permanent Subcommittee on Investigations of the Committee on Governmental Affairs. 1983. [2]
- ↑ a b c United States. Congress. House. Committee on the Judiciary. Subcommittee on Crime. Administration's Efforts Against the Influence of Organized Crime in the Laborer's International Union. 1997. [3]
- ↑ a b c O`Brien, John. “VINCENT SOLANO, 72, UNION OFFICIAL” (英語). chicagotribune.com 2022年9月9日閲覧。
- ↑ Readers' Digest A UNION IN BONDAGE TO THE MOB BY EUGENE H. METHVIN
- ↑ a b Chicago Tribune, April 23, 1985, Eto Blames Union Aide For Attempted Mob Hit by Ronald Koziol and John O`Brien
- ↑ a b c Chicago Sun-Times, Jun 8, 2006, Mobster 'Toyko Joe' died in Georgia in '04: Ken Eto survived a 1983 hit, by Steve Warmbir
- ↑ a b 『モンタナ・ジョー――マフィアのドンになった日本人』第7章
関連文献[編集]
- Capeci, Jerry. The Complete Idiot's Guide to the Mafia. Indianapolis: Alpha Books, 2002. ISBN 0-02-864225-2
- Fitch, Robert. Solidarity For Sale: How Corruption Destroyed the Labor Movement and Undermined America's Promise. New York: PublicAffairs, 2006. ISBN 1-891620-72-X
- United States. Congress. Senate. Committee on Governmental Affairs. Permanent Subcommittee on Investigations. Hotel Employees & Restaurant Employees International Union: hearings before the Permanent Subcommittee on Investigations. 1984. [4]