リヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー

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リヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー(1894年11月16日 - 1972年7月27日)は、オーストリア政治家

幼年期[編集]

父親がオーストリア=ハンガリー帝国駐日特命全権大使のハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー、母親が日本人の青山みつという当時としては珍しい国際結婚によって生まれた次男。東京府の初の国際結婚だったと言われているが、当時の国際結婚は差別色が根強かったこともあり、栄次郎を含めて青山家とクーデンホーフ家の仲は良くなかった。

東京府で育った後、父親の駐日特命全権大使任期が終わるとオーストリアで暮らすことになる。

汎ヨーロッパ主義[編集]

1820年代から、汎ヨーロッパ主義を唱えて、ヨーロッパが一つになるように運動を展開。後の欧州連合(EU)につながったとされ、EUの父とも呼ばれている。

フリーメイソン[編集]

フリーメイソンの一人として活動している。

日本[編集]

鳩山一郎によって設立された友愛青年同志会の名誉会長に推されて就任している。これは、リヒャルトの著書『Totalitarian State against Man』を一郎が『自由と人生』のタイトルで翻訳して、友愛思想を得たことによる。

1967年10月30日には、鹿島平和財団から第1回「鹿島平和賞」を受賞。来日して授賞式に出席した。