プリゴジンの乱

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

軍指導部という悪を止めなくてはならない。

 - エフゲニー・プリゴジン

軍事クーデターではなく、正義のための行進だ。

 - エフゲニー・プリゴジン

プリゴジンの乱
戦争: 2022年ロシアのウクライナ侵攻
年月日: 2023年6月23日 - 2023年6月25日
場所: ロシア(ロストフ州,リペツク州,ヴォロネジ州,モスクワ州)
結果: ワグネルはロシアと停戦し撤退
交戦勢力
ロシア国旗.png ロシア ワグネル
指揮官
ウラジーミル・プーチン
セルゲイ・ショイグ
ワレリー・ゲラシモフ
エフゲニー・プリゴジン
戦力
不明 25000人
損害
Il-22M 1機撃墜
Mi-8汎用ヘリコプター 1機撃墜
Mi-8電子戦ヘリコプター 3機撃墜
Mi-35M攻撃ヘリコプター 1機撃墜
Ka-52攻撃ヘリコプター 1機撃墜
装甲車 1両損失
歩兵戦闘車 1両損失
装甲車 1両撃破
テクニカル 2両撃破
トラック 2両撃破


プリゴジンの乱とは、2023年6月、エフゲニー・プリゴジンと、彼の率いる民間軍事会社・ワグネルのメンバーが、ロシア政府に対して引き起こした反乱である。

プリゴジンの乱のほか、一部ではプリゴジンの変ワグネルの反乱第二次ロシア革命[1]、「めざせモスクワ」の空耳から便所戦争などとも呼ばれる。

一連の戦闘を通じて、ロシア軍はワグネルよりも多くの重装備を失った。また、ロストフ・ナ・ドヌなどワグネルの占領下に置かれた各都市では、ワグネル戦闘員は市民の歓迎を受けた。

反乱の主目的である軍トップの交代や政権交代こそ成らなかったものの、ロシア市民が軍や政府に対し不信感を抱いていることが、全世界に露呈することとなった。

反乱に至るまでの経緯[編集]

ワグネルは、アフリカやウクライナでの戦闘において、ロシア国防省から弾薬や装備の提供を受けていた。ところが、弾薬が予定数の10%しか納品されず、ワグネルの各部隊は弾薬不足に陥った。[2][3]国防相はこの状態を解消するとしたものの、約束は破られた。そのためプリゴジンは「ショイグ[4]やゲラシモフ[5]によってワグネルの戦闘員が犠牲になっている」と主張して国防省を批判した。[6]2023年の戦勝記念日では「我々はまだ1ミリも勝利を獲得していない」と批判した。[7]そして、6月10日に志願兵は国防省と契約を結ばなければならないとしたことに対して、プリゴジンは拒否した。[8]13日にはプーチンが国防省の命令を支持したため、両者の対立は決定的となった。[9]

推移[編集]

6月23日[編集]

  • ロシア軍がワグネルの拠点を砲撃したと主張し、プリゴジンは報復を宣言した。[10]
  • ヴォロネジやモスクワでは食料品や日用品の買い占めが激化し、多くのスーパーマーケットの棚が空になった。

6月24日[編集]

  • ロストフ州ロストフ・ナ・ドヌにある南部軍管区司令部が占領された。[11]
  • ワグネルの主張によれば、同社の戦闘機が、同社の輸送隊に発砲したロシア軍の軍用ヘリコプターを撃墜した。真偽は不明。
  • この日のモスクワ時間昼過ぎ(日本時間では午後8時頃)には、ワグネルの軍団がリペツク州リペツクに入った。
  • ロシアの大統領専用機Il-96と政府専用機Tu-214が、相次いでモスクワを離れ、サンクトペテルブルクへと向かった。なお、これらの機体にプーチンは搭乗していなかった模様。
  • ロシア軍は、モスクワへ向かう高速道路上に大型トラックを並べる・道路の路面を掘り返す・橋を爆破するなどして、ワグネルの進軍の妨害を試みた。
  • モスクワ市のソビャーニン市長は、市内での戦闘が予想される6月26日月曜日を臨時に休日とし、市民に不要不急の外出を控えるよう要請した。
  • ハンガリーのメディアによれば、富豪として知られるロシアの副首相デニス・マントゥロフが、トルコへ逃亡した。[12]
  • 23時30分、ワグネルの車列がモスクワ州に入った。

6月25日[編集]

  • ベラルーシ大統領ルカシェンコの仲介により停戦となり、ワグネルは撤退した。
  • プリゴジンは、自身のプライベートジェットでベラルーシへと向かった。FSBなどに暗殺されたとの報道も出ており、その後の消息は不明である。

脚注[編集]