パラドックス・アート
パラドックス・アート(paradox art)とは、問答アート(questions art) とも言われ、哲学者ソクラテスやプラトンの哲学(問答法)を元に、思考実験としてのコンテンポラリーアートへのアンチテーゼとして生まれたアート。
コンセプチュアルアートをルーツとし、哲学、思考実験やプロパガンダからのルーツも持っている。
『「固定観念の破壊という固定観念」を破壊する』のを、目標としている。
前史[編集]
パラドックス・アートのルーツは、コンセプチュアル・アートと同じようなルーツを持つ、1910年代のフランスのマルセル・デュシャンの仕事に求められる。
デュシャンは従来の絵画や彫刻という形式に当てはまらないレディ・メイド(既製品)という芸術形式を提起した。
1950年代、抽象表現主義に対する反発としてアメリカ合衆国でネオダダ運動がおこり、デュシャンが再評価された。
ネオダダのアーティスト、ロバート・ラウシェンバーグはウィレム・デ・クーニングに提案してドローイングをもらい、それを丹念に消し去って『消去されたデ・クーニングのドローイング』(1953年)という作品を制作した(共同制作というべきだが、ラウシェンバーグは自分の作品であるとしている)。
ポップアートのアンディ・ウォーホルも、『エンパイア』(1964年)などのコンセプチュアルな個人映画(実験映画)をつぎつぎに制作・上映し、話題になった。
ヨーロッパにおける先駆者としては、イヴ・クラインとピエロ・マンゾーニの存在が大きい。
パラドックス・アートはそこから派生したアートに対して不快感を覚えた人々の叫びとしてハニー・ビュークとケビン・アンリの2人により始まった
定義[編集]
パラドックス・アートの定義は、現代美術の自由制に対する矛盾点や倫理観に基づいた否定をするものであり、実験的な物である。
自身の個人的な経験や視点での制作が可能になった現代芸術は、殺害までもをアートとして成り立たせてしまうのでは?という問いから生まれた。
レディ・メイドなどの技法を使っている事が多い。
アートを構成する中で、倫理的にアートと定義するべきではない物を含める事により、そのアートの破壊(ダダイスム)を試みたり、そのアートの矛盾点を見つけ出すための問題をアートにしたものである。
プロパガンダ的な美などの否定も含めるのが、このアートである。
アート作品[編集]
個人間の美がアートとなり得るなら、殺人事件はアートになり得る可能性がある。
人に「危害を加える」事が、「美」と定義する人間がいたとする。すると、この人はアーティストとなって、殺人もアートとなる。
これはアートだろうか。 アートでなければ、個人的な美はアートではないと定義される。又はその他にルールなる物が存在し、アートは自由ではないとなる。
人物[編集]
先駆者
参考文献[編集]
関連項目[編集]
- 学問
- アート