ドイツ農民戦争
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ドイツ農民戦争(ドイツのうみんせんそう)とは、1525年から1526年にかけて神聖ローマ帝国で発生した戦争である。
概要[編集]
当時、神聖ローマ帝国内ではマルティン・ルターの宗教改革が帝国全土に及んでおり、その中で帝国領中部から南西部にかけての農民らが、1525年に蜂起を開始した。当時、神聖ローマ帝国はイギリスやフランスに比べて政治などで遅れをとっており、特に農奴制は農民に大きな負担としてのしかかっていた。そのため、シュヴァーベン地方では農奴制廃止を唱えて農民らが蜂起した。また、様々な政治的利害もあり、フランケンでは神聖ローマ皇帝・マクシミリアン1世義理の息子が蜂起したり、テューリンゲンではトマス・ミュンツァーが蜂起したりなど、複雑な戦争になった。
農民側はもともと訓練もろくに受けていない烏合の衆で、その他に蜂起した勢力にしてもそこまで強い軍隊を保有していたわけではない。そのため、彼らはマルティン・ルターの支援を期待していたのだが、ルターは農民運動とは距離を置き、鎮圧されるのを高みで見つめているだけだった。このため、ドイツ諸侯が装備を整えて反撃すると、たちまち反乱は次々と鎮圧されていき、1526年に完全に戦争は終息した。