ダビッド・アバツィエフ
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ダビッド・コンスタンティノビッチ・アバツィエフ(ロシア語:Давид Константинович Абациев、1876年2月5日 - 没年不詳)は、ロシア帝国の軍人、憲兵[1][2]。
生涯[編集]
テレク州(現在の北オセチア共和国)アルドンスキー地区、カドガロン村に生まれる。
時期は不明だが、第2士官候補生隊を卒業後、ニコラエフ騎兵学校に入学し、同校卒業後は、1896年8月30日にオセチア騎兵師団に配属され、12月には師団副官に昇進する
1897年4月、電信事業を研究する為に第2コーカサス工兵大隊[3]に送られる(後に解体、鉄道事業を学ぶ為、1898年4月にて第1コーカサス工兵大隊[4]に派遣される)。
1902年11月、ペトログラードに到着し、第2クバン・コサック特別百騎兵隊[5]に入隊する。同年12月には皇帝陛下の元で奉仕する為にモスクワに派遣される。1903年10月、百人隊長の改名に伴い、第1クバン・コサック特別百騎兵隊に移される。
1909年1月1日から、帝国近衛輸送隊の参謀大尉に昇進し、1911年2月には再びオセチア騎兵師団に配属され、第一次世界大戦時の1916年4月には、ノヴォアレクサンドリア郡とルバルトフスキー地区の憲兵団長官及び大尉に就任する。
その後の行方は分かっておらず、没年不詳。
家族[編集]
妻のオリガ(未亡人、1906年1月29日、サンクトペテルブルクで結婚する)と弟のコンスタンティン[6]が居る。
脚注[編集]
- ↑ “Абациев Давид Константинович — Офицеры русской императорской армии”. ria1914.info. 2023年3月1日確認。
- ↑ Humus, Хумусの書き込み: Хумус. “Осетины Собственного Е.И.В. Конвоя” (日本語). humus.livejournal.com. 2023年3月1日確認。
- ↑ “2-й Кавказский саперный батальон — Офицеры русской императорской армии”. ria1914.info. 2023年3月1日確認。
- ↑ “1-й Кавказский саперный батальон — Офицеры русской императорской армии”. ria1914.info. 2023年3月1日確認。
- ↑ “2-я Кубанская казачья особая конная сотня — Офицеры русской императорской армии”. ria1914.info. 2023年3月1日確認。
- ↑ “Абациев Константин Константинович — Офицеры русской императорской армии”. ria1914.info. 2023年3月1日確認。