生没年不詳

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生没年不詳(せいぼつねんふしょう)とは、ある人物の生まれた年と死亡した年が、ともに不明であることを示す言葉である。特に古代・中世・に多い。近代になって誰もが戸籍を持つようになると、親権者が出生届を出さなかったり、故意に死亡届を提出しないなどの不法行為がない限り、「生没年」が「不詳」となる可能性は低くなった。しかし、独居老人の孤独死等で、死去した年や月日が確定出来ないケースは今日も存在する。

生没年(せいぼつねん)は、ある個人の生まれた年(生年)、死亡した年(没年)をあわせた記述である。

生没年の確定[編集]

日本に限定して考察すると、明治以降、出生届や死亡届など個人を特定する制度が確立されたため生没年を確定するのは困難では無い。ただし、個人情報保護法[1]の壁があるため公的な書面で人物の生没年を確認するには本人もしくは、本人没後はその家族の同意が必要である。

現代でも生没年を確定するのが困難な場合があるので、明治以前の歴史上のある人物の生没年を確定するのは容易ではない。現代のような戸籍制度が無く、寺院に残る人別帳や過去帳や埋葬記録などを手がかりに確定する方法が一般的である。しかし、過去帳の閲覧は個人情報保護[1]の観点から閲覧禁止もしくは廃棄している寺院が多く閲覧は困難である。

武士や公家等の特別な身分の人物は人物伝と言った形で何らかの形で記録が残っている場合もあるが、市井の人物の場合は記録が無いのが普通である。同時代に生きた織田信長の出自は明白(1534年5月12日誕生)であるが、農民出身の豊臣秀吉の生年については諸説(1536年説・1537年説)あるのはこの典型的な例である。

また、人物伝には作者・編纂者・その時代の政権の思惑や意図が織り込まれている場合も多く、人物伝の記載が100%信頼出来るわけでは無い。日本書紀や古事記に記載がある神武天皇や、欠史八代と言われる(綏靖天皇安寧天皇懿徳天皇孝昭天皇孝安天皇孝霊天皇孝元天皇開化天皇)が典型的な例である[2]

それらの史料が残されていない場合には、没年齢を確定するのは非常に困難である。市井に残っている断片的な資料(各地を取りまとめていた庄屋の日記等)、本人の記載した日記や雑文の類い、家族の記載した日記や手紙等を寄せ集めて、類推すると言った作業が必要である。

脚注[編集]

  1. a b 個人情報の保護に関する法律”. 電子政府の総合窓口 e-Gov(イーガブ) (2016年5月27日). 2016年10月13日確認。
  2. 尾崎克之、栗原加奈夫、岡林秀明、常井宏平 『完全保存版 天皇125代』2128、株式会社宝島社、2014年2月23日 発行、1st、43-45頁。ISBN 978-4-8002-2156-8