ジェローム・デイヴィス
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ジェローム・デイヴィス(Jerome Dean Davis、1838年1月17日 - 1910年11月4日)は、宣教師、神学博士、同志社英学校(現在の同志社大学)の教師である。
来歴[編集]
アメリカ合衆国ニューヨーク州グロトン(現在はマサチューセッツ州)に、父ホープ・デイビス(Hope Davis)、母ブルクシ・ウッドベリー(Brooksy Woodbury)との間に生まれる。 彼らには1人の息子と3名の娘がいた。ベロイト大学で学んだあと、シカゴ神学校で学び、牧師の資格を得る。1871年に宣教師としてジェロームはアメリカン・ボート(北米初の伝道組織)から日本に派遣された。新島襄の志に賛同したジェロームは、1875 年10 月に京都に移り住み、11月29日に同志社英学校を開校した。教員は教員2 名(新島とデイヴィス)だけで、生徒は8 名であった。8名の内6名はデイヴィスが神戸から引き連れてきた生徒と言われる。新島は、デイヴィスに「あなた無しには、私たちはやっていけません」と書き送ったほどで、同志社の影の校長と言われた。
翌年の1876年には熊本洋学校出身の俊英たち30名から40 名が同志社英学校に入学した。その中に徳富蘇峰、海老名弾正、蔵原惟郭もいた。
1890年1月23日に新島が死去した直後、デイヴィスは『新島襄の生涯のスケッチ』を出版した。新島襄の最初の伝記である。1914年11月4日、アメリカ合衆国オハイオ州で死去した。同志社大学京田辺キャンパスに功績を記念するデイヴィス記念講堂(体育館)がある。
- 注