ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー
ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー(Zayn al-‘Ābidīn bin ‘Alī 1936年9月3日 - 2019年9月19日)は、チュニジア共和国の政治家、軍人で大将。1987年より23年以上にわたって同国第2代大統領を務めたが、2011年1月14日にサウジアラビアへ亡命、政権は事実上崩壊した。日本語ではジン・アビディン・ベンアリの表記も見られる。
経歴[編集]
チュニジア中部のスース近郊で生まれる。軍治安司令官、内相などを経て、1987年に首相に就任する。すると初代大統領のハビーブ・ブルギーバを「健康上、職務執行は不能である」として大統領職から解任するという無血クーデターを実行し、これにより同年のうちに政権を掌握した。
政権掌握後は秘密警察を利用して言論を統制したり、イスラム勢力を弾圧したり、縁故主義による一族の重用などで国内から激しい批判が噴出する。その一方で、欧米諸国とは協力関係を強化して堅実な経済成長を実現して20年以上にわたるベンアリ体制と称される強権体制を敷いた。しかし、長年続いた経済成長は2008年のリーマン・ショックによる2008年金融危機により、チュニジアの国内経済にも深刻な影響が及んで経済が低迷。貧富の差も拡大して深刻化し、2010年12月には失業中の青年が失業や政権の腐敗に抗議して焼身自殺を図ったことがきっかけとなり、反政府デモが国内各地に拡大する。ベンアリは当初、このデモを軍隊の力で武力鎮圧しようとしていたが、その軍隊が2011年1月にデモ側に寝返ってベンアリは引導を渡される形でチュニジアから脱出して亡命した(ジャスミン革命)。これにより23年にわたるベンアリ体制は崩壊し、同時にこれはアラブの春と呼ばれる民主化運動が中東全域に拡大する契機となった。
2012年6月、チュニジアの裁判所はベンアリに対し、デモの参加者の殺害に関与した罪で終身刑の判決を下している。
ベンアリはサウジアラビアに亡命し、同地で2019年9月19日に死去した。83歳没。