嘘
嘘(うそ、Lie)とは、多義的である。
「冗談」「ジョーク」の中には悪意が潜まれていることがあり、「自閉は冗談が判らない(ヤレヤレ)」といった優越感に浸りたい健常者も多いので注意が必要である。
概要[編集]
- 事実であるかどうか
- 発話者が信じているか
- 発話者が嘘を吐(つ)いているという自覚があるか
といった要素がある。
「次のレースは3-5が鉄板だ」は、当たれば嘘とはいえない。
怪しい宗教の信者は、「信じている」し「嘘を吐(つ)いているという自覚もない」ので、嘘を吐いているかどうかについては議論の余地がある。
冗談の中には、「本当なのだが嘘っぽいもの」もある。「焼いたじゃがいもに味噌を塗って喰うと死ぬ」は、「すべての人間は死ぬ」ので帰結として正しい。「1+1は2ではなく、3にも4にもなる!」という人は、「数理」というものを理解しておらず、「2円投資するから3円とか4円にして返せ」と言っているだけの話である。
これに対して、「グルタミン酸とイノシン酸には相乗効果というものがあり、『うまみ』は双方を足すと三倍とか四倍とかになる」というのは経験的事実であるので嘘ではない。
嘘のうち、犯罪的な嘘は詐欺となり、刑事罰の対象となる。これは悪意とか罪意とか犯意とかは無関係であって犯罪でしかなく、せいぜい量刑に反映されるかどうかの話でしかない。
フィクション[編集]
作品が現実の人物・団体と無関係であることを前提にしたフィクションは、基本的に嘘である。なお、時代劇や伝記でも、事実関係が曖昧な部分は脚色が入ることが多々ある。
いわゆる「優しい嘘」[編集]
「癌などの予後が悪い病気が発覚しても患者がショックを受ける事を避けるため、嘘の病名が告知される」ということがかつてはあったが、これは医学的なパターナリズムとされて現在では犯罪でしかない。インフォームド・コンセントに反しており、「本当の死因と公表上の死因が食い違った」とかいったら賠償問題になる。
例[編集]
- 表向きには胃潰瘍による体調不良で入院していたが、死後に胃癌と発表された。
「嘘も方便というように、日常的に嫌味にならない程度に嘘が社交辞令やお世辞といった形で使われる必要悪でもある。」とかいったことを言う人もいるが、明智光秀は「僧の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という。それを思えば民百姓は可愛きものなり」と述べており、領主としては名君であったという。
嘘を見抜く?[編集]
目が泳いでいたり瞬きの回数が多いと怪しいとされるが、エホバの証人などはエホ症に感染しているため「自分の信仰を疑わない」という心理的なトレーニングを幼児期から強いられているので判別は難しい。聖人してからプロの詐欺師になった場合は、「自分の嘘を(そのときだけは)信じる」という技能を身につけているんで、やはり判別は難しい。
個人差によるので断定は禁物。むしろ「嘘を吐けない人物」を見抜くほうが容易である。
対義語[編集]
対義語は特にない。「嘘を吐(つ)く人間」と「嘘を吐かない人間」がおり、「嘘しか吐けない人間はクレタ人しかいない」。
自閉はこの点では安心な存在ではあるが、高機能自閉に騙されてずっこける人はけっこう多い。「連続体仮説は正しい!」とか「選択公理は正しい!」とかいった話は嘘ではあるが、言っている当該人物は信用できそうに思う。
注釈[編集]