アブー・アル=アッバース・アブドゥッラー・イブン・ムハンマド・アッ=サッファーフ
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アブー・アル=アッバース・アブドゥッラー・イブン・ムハンマド・アッ=サッファーフ(723年 - 754年2月21日)は、アッバース朝の初代カリフ(在位750年 - 754年)[1]。
生涯[編集]
預言者ムハンマドの叔父・アッバースの子孫である[1]。ウマイヤ朝末期に反乱が相次ぐと、747年にホラーサーンでアッバース家を奉じた反乱が蜂起してイラクまで制圧する[1]。しかしウマイヤ朝の反攻によりアッバース家の家長であったイブラーヒーム・イブン・ムハンマドがマルワーン2世に処刑されたため、末弟であるアブー・アル=アッバース・アブドゥッラー・イブン・ムハンマド・アッ=サッファーフがカリフに推戴された[1]。750年にザーブ河畔の戦いでウマイヤ朝の軍勢を破ってマルワーン2世を殺害し、アッバース朝を正式に建国する。以後は大規模な遠征を繰り返し、751年にはタラス河畔の戦いで中国の唐の高仙芝率いる軍勢を破った[2]。これによりシルクロードも支配下に置いた[2]。
754年に天然痘により死去[1]。享年32。跡を異母兄のアブー・ジャアファル・アブドゥッラー・イブン・ムハンマド・アル=マンスールが継いだ。